医学の常識を覆す症例
2024年11月に三井住友VISA太平洋マスターズが開催されて、石川遼選手が優勝されました。
その試合を観ていて、ふと思い出したのが、私が1993年、長野県岡谷市の岡谷塩嶺病院(現、岡谷市民病院)に出張に行っていた頃の話です。
諏〇〇C.Cの所属プロのF氏のお父様がクモ膜下出血で入院されました。自発呼吸はなく、瞳孔は8mm以上に大きく散大し、対光反射は消失しており、4日以上が経過していました。脳波の検査はできませんので、おそらく脳死だと判断しておりました。
看病していた息子さんの奥様にいつ、息子さんが帰られるかを尋ねたところ、「関東オープンゴルフ選手権に出場しているので、負けたら帰って来ます。」とのことでした。「いつも早く負けて帰って来ますから」とおっしゃっていたのですが、その日は、決勝まで残っていました。昇圧剤を使用していても、患者さんの血圧が徐々に低下して、徐脈になってきたため、そろそろ看取らなければと思った矢先に、
「今、諏訪インターチェンジに着いたと、連絡がありました。夫に、父の死に目に、あわせてあげてください。」と頼まれました。延命処置を行いました。Fプロが病室に飛び込んできて、患者さんに抱きついて、「おやじ、優勝したで、ついに優勝したで」と叫びました。
すると、患者さんの心拍数が、みるみる速くなり、血圧は上昇し、瞳孔は収縮し、眼から涙が流れました。私は、驚きました。
明らかに患者さんには、息子さんの声が聴こえて、理解できたのです.
「脳死ではなかったのか」と考えさせられました。大学病院では、その当時、瞳孔が散大し、対光反射がなく、自発呼吸がなければ 脳死状態であるといわれていました。家族の愛は、常識を超えたのです。
私には、忘れえぬ経験となりました。
人の生命に対して、安易に医師が判断できるものではないということを、肝に銘じる経験となりました。